文教委員会終了。
今日は文教委員会2日目。最後の委員会である。
質疑は1日目に終了していたので、来年度文教予算に対する意見を具申したのだ。
前夜藤本委員長と擦り合わせして、文面を吟味した。(ほとんど委員長任せではあったが)
自民党委員で打ち合わせをした後、本番。
『高校無償化については否とするが、それ以外は評価し、感謝している。大いに可である』というもの。
委員長はじめ委員の思いが詰まった、いい意見だった。
地方議会経験の浅い私には委員長の采配は非常に勉強になる。
そして民主神杉県議から動議が出され、総員を持って可決。
小異はあれど、現場の視察を通して見たもの、感じたことは一緒なのだ。
このメンバーで1年間委員会活動ができたことを心から感謝したい。
決議文も、役人が書いたような冷徹な無機質なモノではなく、教育を温かく見守る気持ちが表れたものになった。
最終日に本会議で可決することになるが、全文を掲載する。
教師を信頼し、教師はそれに応える、あたたかな教育環境を回復するための施策を求める決議
社会の価値観が多様化する中、あるべき教師像もまた揺らいでしまっている。教育は信頼の上に成り立つものである。
そもそも、教師が「先生」と呼ばれるのは、子どもを教え育むという仕事が尊敬に値するものであり、社会的に信頼されているからである。「サービスの提供ー享受」という価値観で教育も判断され、評価される社会の中で、教師は教育者としての誇りと自覚を失ってしまったかのようにも見える。子どもや保護者に対する教師の行動も、いつの間にか冷めた、割り切ったものになってしまったと感じざるを得ない。
人は信じられているから、それに応えようとして努力するものである。そして身を削り情熱を注ぐ努力から、信頼も生まれるものである。その善き循環が失われてしまったのだ。教師を信頼し、教師はそれに応える、あたたかな教育環境を回復するための本気の施策が、今待たれている。
体を張って本気で子どもに向き合い、指導する。情熱をもって最後まで子どもを面倒み、導く教師を我々は支持する。教育とは、人と人との営みである。思いをぶつけ、情熱を注ぐ営みである。ときに、「行きすぎ」もあるのかもしれない。が、機械的にそれを処分すればよい、というものでもない。
教師が信頼に値すると感ずれば、子どもは変わるものである。子どもの日常が変化し、好転すれば、保護者の態度も変わるはずである。そうした教師を育成すべく、県教育委員会は本気の施策を講ずべきである。
1 「懲戒処分の基準」については、教師の情熱を削ぐことのないよう、そこに至る指導の過程など諸状況をより勘案し、個別に判断して、見直すこと。
2 その他、教育局においては、教師を信頼し、教師はそれに応える、あたたかな教育環境を回復するため、あらゆる施策を講ずること。
3 教師は、教育者としての誇りを持ち、我々県民の信頼に応え、全力を注いで教育に当たること。
以上、決議する。
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