Monthly Archives: 5月 2011

活動報告

再び騎西高校



本日は狂言和泉流三宅藤九郎さんと和泉節子さんと一緒に騎西高校を訪問しました。

被災者の皆さんに狂言で元気になっていただければ幸いです。

県議会活動

臨時議会

選挙による改選を受け、臨時議会が開会されました。

議長、副議長を選挙で選び、自民党の2人がそれぞれ就任されました。

 

議長には鈴木聖二議員(4期・行田市)

副議長は荒川岩雄議員(3期・浦和区)

がそれぞれ当選。鈴木氏はお隣の市なのでいろいろな場面で一緒になるし、荒川議員は不動岡高校の先輩で何かといつも声をかけていただいている。両先輩には頑張っていただきたい。

 

その後常任委員会、特別委員会などの人事が決まった。

今年度私は

企画財政委員会 委員長

緊急経済対策特別委員会 副委員長

の大役を務めることになりました。

 

特に常任委員会の委員長は責任重大であることは文教副委員長を経験して実感している。

諸先輩方のようにしっかりつとめられるかわからないが、全力で頑張る所存であります。

 

活動報告

秋田犬本部展

国の天然記念物に指定されている秋田犬の展覧会が羽生水郷公園で開催され、来賓として出席してきました。

関東の大会はたびたび羽生で開催しているのですが、この日は全国規模の大会。普段は秋田大館で行われるのですが、震災の影響で開くことができず急遽羽生での開催となったものです。

予想以上の参加者の多さと犬の立派さに驚きました。

大型犬のためなかなか日本では飼いにくい環境になりつつありますが、日本の文化ですので継承していきたいものです。

ちなみに『忠犬ハチ公』は秋田犬。私はハチ公の話が大好きです。

活動報告

教科書採択協議会を傍聴

羽生市役所で開かれた第一回の教科書採択協議会を傍聴した。

今年は夏に中学校の教科書採択が行われる重要な年である。

 

12月一般質問でも触れたのだが埼玉県では教科書採択区が14地区と少ない上に、強化によっては14地区が同じ会社の教科書を選ぶ、などというおかしな現象が続いている。そこに県の関与がある、と考えるのが自然なのだが県に言わせれば『市が独自に採択している』という。市に聞けば『県の指導でやっている』という。

どちらも責任は取りたくないのだ。

しかし、これは県の責任で、県の強い指導力を発揮してやって欲しい、と常に県教育局には伝えている。

『尖閣諸島はなぜ日本の領土なのか』『北方領土はなぜ日本のものなのか、ソ連はいつどのように侵入して領土を掠めとったのか』子供も知らなければ親も、大人も、国会議員でさえ知らない。

日本は、日本人は本当にそれでいいのか。

そんなことを知らずして、英語が話せれば『グローバル人材』なのか?

 

そういう教育をするには教科書も変わっていかなければならない。

ということで3月の県議会で決議をしたので決議文を全文紹介したい。

文は私が作りました。

 

教育基本法・学習指導要領の目標を達成するため、最も適した教科書の採択を求める決議

教育基本法及び学校教育法の改正並びに学習指導要領の全面改訂を受け、文部科学省は、平成21年、新しい教科用図書検定基準を告示した。
これらの中で、教科書は、公共の精神を尊び、国家・社会の形成に主体的に参画する国民及び我が国の伝統と文化を基盤として国際社会を生きる日本人を育成するため、豊かな情操と道徳心、伝統と文化の尊重や我が国と郷土を愛すること等、教育基本法の目標と一致するよう求めている。
埼玉県教育委員会は、教科書採択に当たり、教科用図書選定審議会の答申を受け、「教科用図書採択基準」及び「調査の観点及び調査資料」を作成し、各市町村教育委員会に参考資料として示している。また、それに基づいて各市町村教育委員会が教科書の選定・採択をするよう求めている。
昨年3月には小学校の教科用図書検定結果が発表され、今年度は既に小学校の教科書採択が終了しているが、来年度においては中学校の教科書採択が行われる。
よって、本県議会は、県教育委員会において下記の事項を実施するよう強く求める。

1 審議会の答申を踏まえ、教育委員会の委員その他学校関係者に教育基本法及び学校教育法の改正並びに学習指導要領改訂の趣旨について周知徹底を図ること。
2 教育基本法の目標及び学習指導要領の目標や内容を達成し得る「教科用図書採択基準」及び「調査の観点及び調査資料」を作成し、それに最も適した教科書を採択するよう、各市町村教育委員会を指導・助言すること。
以上、決議する。

平成23年3月15日

埼玉県議会

 

この決議を重く受け止め、県が強い指導力を発揮して各採択区で判断していただきたいと切に願う。

つぶやき/所感

田植えの風景

市内加羽ヶ崎地内の田圃では田植えが始まっています。昨年のような猛暑による品質低下が繰り返すことのないよう願っています。また放射線の増加も心配です。

今日の食事

『四季ぼうぼう』

都内で気軽に中華を食べたい時によく訪れます。

中国人経営で本格的な四川料理がリーズナブルな値段でいただけます。

『早い、うまい、安い、そして量が多い』の4拍子が揃った私好みの店です。

これは名物麻婆豆腐、山椒がきいています。

こちらも名物担々麺

どれもすごくおいしい。更に言えば19:00までランチをやっていて、夜の営業は3:00までという素晴らしい店なのです。

これ以上混んでも困るのであえて場所は書きません。

もろいの主張 書評/映画評

映画『名もなく貧しく美しく』を観た

昭和の大女優、高峰秀子さんは昨年末に亡くなった。

その美しさは勿論なのだが、何か陰のある、不幸を背負ったような役柄、演技に惹かれていた。

最初に彼女の映画を見たのは大学生だったのだが、あまりよく理解はできなかった。しかし40代になって、人生の半ばを迎え、若いときに感じることができなかったことが徐々に理解できるようになって来たような気がする。

今では彼女の人生そのものが昭和であり、彼女の涙は昭和の日本女性の涙なのだ、と思う。

今作品は観たことがなかったのだが、たまたまNHK-BSでやっていたので観ることができた。

 

時は終戦前の空襲で始まり、戦後を迎える。高峰秀子演ずるろうの秋子が、同じろうの片山道夫(小林佳樹)と結婚し、日々の生活を過ごすために働くこと、また、生まれた子どもを育てることに苦難の連続を味わわせられながら、戦後の日本を生きてゆくストーリーである。日本でろう者を正面から取り上げた初めての映画であるようだ。

まず今、我々がこの映画を観て思うのは、戦後の日本(東京)の生活ぶりが分かるということ。当時有楽町のガード付近には靴磨きがズラリと並び、その多くはろう者であったそうだ。松山善三監督は映画化にあたり、50人ものろう者に手紙を出し、その返事から苦悩を読み取りシナリオに取り入れている。

※1961年東宝作品

2人がろう学校の同窓会で出会い、交際を経て結婚に至るとき、そして、内職用のミシンを弟に奪われて絶望し、弟ともども一緒に死のうと思いつめた秋子を追ったときの二度、秋子に向けて道夫が強く説く──「僕たちは特別なのだから、2人で助け合って、普通の人に負けないようにがんばらないといけません」。この、「普通の人に負けないように」というセリフ、この映画のポイントであり、当時のろう者もきっと強く共感し、大いに励まされたことだろう。そして電車の窓越しの手話での会話シーンは日本映画史上に残る名シーンだと思う。『私たちはお互いが助け合って生きていこう、と約束したことを忘れたのですか?』と問いかける場面では涙が…

1人目の子どもは耳が聞こえない故に異変に気づかず亡くしてしまう。2人に生まれた子どもの一郎が成長してゆく後半から、俄然と面白くなる。 ろうの両親を最初は疎ましく思い、避け、拒絶さえしていた一郎が、やがて、変わってゆく。(ろうの両親を持つゆえ)これまでは友達とけんかばかりしていた、「たまには友達を連れて来なさい」と言っても決してそうしなかった一郎が、あるとき友達を家に連れて来ている。初めてのことに、秋子は家に帰って一郎の友達の姿を見るや、即座に逃げ出してしまう。「私なんかがいたら恥ずかしいでしょう」。一郎を気遣ったつもりの秋子に、「紹介しようと思って連れて来たんだ」と、親を受け入れ、素直になった一郎の成長を示すシーン。

ろう者を親に持つ家庭で必ずある、よくあることだときく。また、ラストシーンで一郎に語らせる──「以前、僕は、両親がろうあ者なのを恥ずかしく思っていましたが、今ではちっともそう思いません。今はお父さんとお母さんを一番尊敬しています」と。それまでが徹底的に生意気で嫌な、秋子を不憫に思わせる子どもとして設定されていた分、観る者の心をなごませて微笑ましい。

物心ついた一郎が、社会の中でろうの両親の置かれている状況、両親の苦労に気付いてゆく、そのシーンが印象的だった。

洋服の仕立てを内職とする秋子に、「母さんはだまされている。ろうだから利用されているんだ」「母さんが働けば働くほど洋服屋が儲かる。いつも母さんは損ばかりしている」と。そして、「母さんの腕はいいですか?」「母さんがいなくなったら困りますか?」「仕立て代、他ではもっと高いです」と洋服屋にも正面からはむかう。

これは私自身も子どもの頃から(今でも時々)思うことが多い。家族をはじめ周りの人間に対しどうしてもっとうまく、ラクして要領よく生きてゆけないのか、と苛立たしく思えたことも多々あったのだ。

でも、社会はそういうものなのだと今では思う。世の中には世渡りのうまいものとそうでない者とがいて、その差は歴然としている。愚鈍な者はだまされ、要領が悪いようにできている。けれども、それと幸せとはまた別のことなのだということがよくわかる。

秋子の母は、家を出てバーでマダムとして働き、中国人の妾となり「お金が全て」という姉・信子に会ってつぶやく。「世の中は二人でも生きていけない人間と、一人で気ままに生きてる人間がいるんだね」。そしてまた、憤慨する一郎には笑顔で穏やかに諭す──「いいじゃないか。それでも、こうしてご飯が食べられれば」と。道夫もまた別に秋子に言う──「僕たちは十年かかってやっと一人前の夫婦になった」「耳がきこえないから、神様が倖せにしてくれたのかもしれません」。

自分がろうであることに苦しみ、子育てに自信が持てずに苦しみながら生きてゆく秋子が、母と道夫のやさしくあたたかい思いの中でなだめ励まされてゆく。道夫や母のことばには、この世を生きてゆく上での哲学的な箴言が含まれている、と思う。

まさにタイトルどおり、「名もなく貧しく」とも「美しい」生き方であると共感を覚えた。今観ても決して色褪せない、むしろ家族の絆、人間の絆が失われている今、現代を生きる我々が観ることにこそ、大きな価値のある映画であると思う。

それにしても、この時代の日本映画は素晴らしい、と心底思う。

自分の世代も含め若い世代はこんな映画があったこともほとんど知らない。

 

常々思っていることなのだが長い歴史と伝統、文化を誇る国の中で日本ほど『世代の断絶』が起きている国はない。

『今は昔と違う』『価値観が変わった』『今時そんなこと…』年配者からの諫言に対して日本の若者からよく出る言葉だ。そう返されるのがわかっているから今は誰も何も言わない。そうして日本社会は変容してきている。

しかし『日本人としての美徳』や『道徳心』『公共心』などは時代は変われども不変のものなのではないか。

観賞後そんなことを強く感じたのだった。

もろいの主張 書評/映画評

南米一周の旅

NHK-BSで昨年放映した番組の再放送をやっていたので録画して一部視聴した。

5話あって一話1.5時間だから全部で7.5時間もあるので全部見るのはなかなか難しい。

 

エクアドルのキトから陸路でペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル、そしてベネズエラのカラカスで旅を終えるという壮大なもの。

かつて20代の若かりし頃、私も同様の旅をしたので旅先の風景はとても懐かしく、自分の旅を思い出した。

もともとは学生の時チェ・ゲバラの本を読み、南米一周旅行に憧れを抱いていたのだ。

もっともゲバラはバイク二人のりでの南米一周。遥かにハードな旅だったと思う。

 

タンゴ発祥の地”カミニート”(アルゼンチン・ブエノスアイレス)

 

氷河国立公園のペリト・モレノ氷河(アルゼンチン)

ブエノスアイレスではタンゴを見にタンゲリアに行き、ワインを飲んだ。

カミニートからほど近い”La Bombonera”(ボカ・ジュニアーズのスタジアム)も思い出され、懐かしい。

パタゴニアでは氷河トレッキングと南極クルーズが思い出深い。厳しい自然と澄んだ空気に満ちていた。

圧倒的な迫力の氷河を前に、数時間ずっと見とれながらワインを飲んでいた。

 

ブラジルに入って一番懐かしく思い出したのはサルバドールの街。

教会だらけのサルバドールの中でも有名なボンフィン教会

私は何と92.94.95.96.97年とこのサルバドールのカーニバル(カルナヴァル)に参加しており、5回も行っている物好きは日本人では稀であると思っている。

リオももちろん何度も行っていて好きなのだが、サルバドールはもっと素朴で、もっと熱狂して、もっとキケンで…とにかく楽しいのだ。

海岸を埋め尽くす人の波 サルバドール

映画ではWalter Sales監督の『モーターサイクル・ダイアリーズ』がゲバラの旅を描いており、よかった。

南米各国が見せる様々な表情、最初は未熟なゲバラが成長していく過程、人々が抱える貧困問題…

ゲバラ自身が後日語っているようにアマゾンでのハンセン病患者との交流が政治に目覚める大きな要因になったようだ。

夜の河を泳いで渡るシーンには思わず涙が…

 

などと自分の旅がオーバーラップしていろいろなことを考えてしまいました。