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つぶやき/所感 もろいの主張

解散へ

今日の党首討論のやり取りの中で、野田首相が明後日11月16日解散を明言した。

議員定数削減を来年の通常国会で実現することを野党が受け入れることが条件、とはよくわからない条件だが、、、

しかし解散表明後の円の下落を見る限り、一日も長く民主党政権が続くことはそのことそのものが国益を害するので、そういう意味ではよかった。

自民党もその条件を受け入れることを了承し、マスコミは既に公示日、投票日も報道している。

 

それにしてもこの3年3ヶ月、民主党政権は何を成し遂げたのか?

『子供手当を実現した』とか『高校無償化を実現した』などと自慢そうに言っているが、私からすればそれ自体が大きな愚策。

その結果何がどうよくなったのか?

誰もそのことに触れる者はいない。そのことを指摘するマスコミもない。

 

これからは与党民主党の瓦解が加速するのでは、と思う。

所詮綱領もなく、考え方もバラバラで『ただ国会議員になりたい』だけで集まった面々。

選挙に勝てないとなれば党を見限る者が多数出てくるだろう。

 

対する我が自民党は?

民主党がダメだから大丈夫、などと安心している場合ではない。

特に地方組織は3年前の選挙でなぜ負けたのか?そこに思いを巡らせていないところが多い、と感じる。

我が埼玉県も決して楽ではない。

今回はいろいろな思いがあり正直複雑な思いだが、与えられた使命を果たすだけ。

『国政を担うにふさわしい人物』を国政に送り、日本を建て直さなければならない。

間違ってもどこの出身だから、近いから、地元だからとか、そういうことで国政を判断してはならないと考えている。

 

今回の選挙の争点が見えない。

 

選挙に向かって日本全体が内向きになった時、尖閣はじめ外国の動きが活発になる。

そこを注視していきたい。

もろいの主張

安倍新総裁誕生

自民党総裁選の党員投票開票、国会議員による投票が行われ、石破茂候補、安倍晋三候補による決選投票の結果108対89で安倍晋三元首相が新しい自民党総裁に選出された。

個人的には安倍先生の国家観、主張というものに共感しており、この結果は素直に受け入れたい。

3年余の民主党政権でメチャクチャになったわが国日本を建て直すべく、リーダーシップを発揮していただきたいと切に願っている。

 

対する石破先生も過去には地元羽生市に来ていただいたこともあり、個人的に尊敬する議員の一人である。

今回惜しくも届かなかったが、今後党及び政府の要職でのご活躍が期待されており、その先に総裁があるのだと考える。

いずれにしても終わってしまえばそれで終わり。

今日からは党が結束して次の衆院選に臨む体勢を整えなければならない。

 

今回の総裁選についての感想。

最後に残った2人以外の候補は正直言って総裁になっては困ると思っていた。

そういう意味で安心してみていられた。

しかし1回目の議員票では石原候補が一位だったわけだが、これは長老に残る石破アレルギーから来るものだと思う。

人間なので過去にいろいろ私怨や好き嫌いはあろうが、国会議員たるもの私情よりも国益を優先させてもらわねば困る。

 

『党員票で過半数を超え圧倒的な支持を受けた石破候補が総裁にならないのは民意に反する』などと朝日や毎日など反安倍の左新聞や左翼コメンテーターが騒いでいるようだが、認識不足も甚だしい。

党員票がすべてだ、とするならそもそも議員投票などいらない。最初から党員投票だけにするよう党の規定を変えればいいのであって、終わってから文句を言っても仕方ない。

個人的には民主党の党員投票率30%とか、外国人が投票できる方が国家として、政権党としてよほど問題だと思う。

 

議員票が必要な理由として、議員は既に『民意』で選ばれている。しかも党員以外の民意も受けている。

加えて党総裁は党所属議員をまとめる、という重要な仕事がある。

党がまとまらなければ政策を作ったり実行することはできない。法案を作って成立させることなどできない。

従って、議員の信望がより厚い議員が総裁にふさわしいことは明白である。

等々申し上げた。

 

しかし早速安倍先生が総裁選前に食べた食事は『3,500円のカツカレー』だから庶民感覚がない、と批判したマスコミがあるそうだ。

あまりの低レベルさに呆れてしまう。

バー通い、酔っぱらい、漢字読み間違い、絆創膏などとるに足らないくだらんことでこれまでさんざん自民党政権を叩いてきた亡国マスコミの罪は本当に重い。

 

安倍先生が総裁になったことで再びこれらのマスコミが張り切って世論誘導をすることが懸念される。

新総裁にはこれらの勢力に負けず、信念を貫いて頑張っていただきたい。

微力だが全力で支えていきたい。

 

もろいの主張 活動報告

自民党県連大会

自由民主党埼玉県連大会が浦和で開催され、出席してきました。

新藤県連会長からは政府与党の国会対応と次期衆院選についての意気込みのお話がありました。

『15選挙区で全勝を目指す』とのお言葉、大変結構ですが現状ではおぼつかないのではないか、と考えます。

何より我が地元の埼玉12区では支部長が決まっておりません。

与党批判もいいですが、自分たちが決められない、先送りをしていることは情けない限り。

面倒なこと、いやなことから逃げていては道は開けない、私はそのように考えております。

つぶやき/所感 もろいの主張

社会保障と税の一体改革の採決は

政府民主党は法案反対派がたくさんいながらも、強引に前に進むようです。

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国会を9/8まで延長?というのは長過ぎて理解に苦しみますが…

 

野田総理が政治生命をかけた法案が通ってしまったその後は、一体何をするのでしょうか?

もう野田内閣に存在価値はないでしょう。

 

内閣は何のためにあるのか?

それは法案を成立させるためにあるのです。

そういう意味ではもういつ解散があってもおかしくない、と思います。

 

それにしても、、、この法案を巡る政府与党の迷走ぶりはひどいですね。

 

民主党の最大の問題は綱領がないこと。

つまり、『何をしたいのか、日本をどう導きたいのか』わからない政党だということです。

綱領がない政党が政権を握っている国は世界中探してもなかなかあるものではありません。

 

国の根幹である憲法、国防、安全保障に関して考え方が一致しないからゆえの迷走。

今の現状は当然の帰結であると思います。

 

 

もろいの主張 県議会活動

日本教育新聞6月18日号にインタビュー記事が掲載されました

つぶやき/所感 もろいの主張

野田総理誕生

民主党代表選では大方の予想に反して野田佳彦氏が次期代表に決まった。

今後国会での指名を受け、新首相が誕生する。

 

民主党代表選を見ていて思ったこと。

まず、政策の話はほとんど皆無だった。2009年衆院選マニフェストを撤回するか、守るかということはあったが。

あとは誰が誰のグループだとか小沢さんがどうだとか内向きの数合わせに終始、マスコミもこれに乗っかって連日国民不在の茶番が繰り広げられた。

民主党代表はイコール首相になることを意味する。そういう意味で芸能人の人気投票、あるいは小学校の学級委員を決めるがごとくの仲良しグループ囲い込みに貶めて何ら恥じないマスコミに対し強い怒りを覚える。

日本の代表とはかくも軽いものであることを全世界に発表しているようなものだ。

 

野田氏については民主党内では比較的まともな人だとの印象を持っている。

どのような内閣を作り、どのようにこのの苦難に立ち向かうのか、日本のリーダーとして頑張っていただきたい。

 

しかし、総裁選を見ている限り、他国の元首と比べて軽い。見劣りする。

時代劇に出てくる越後屋(悪商人)のような顔つきに見えてしまうのは私だけだろうか。

 

つぶやき/所感 もろいの主張

内閣不信任案否決

菅内閣不信任案は、民主党の松木議員、横粂議員の二名が賛成、小沢一郎元代表他14名が欠席した以外は、民主党のすべてが反対、共産党、社民党は欠席して圧倒的大差で否決という結果となった。。一昨日、昨日の騒動は一体なんだったのだろう。『まさか解散?』とか考えながらTVを見ていた自分もつくづくバカバカしく感じる。

『この時期になぜ不信任なんだ』とか『政局をやっている場合ではない』など野党自民党に対しての批判も多く見受けられた。しかしこの不信任には大きな大義、理由がある、と思う。時期の是非は別として。なぜなら野党は解散総選挙を求めていた訳ではない。首相の辞職を求めたに過ぎない。
菅総理には、多くの国民、行政機構、米国をはじめとする国際社会など、あらゆる方面から信用がない。法的な手続きを踏まず、行政機構を活用せず、ただ自分が目立つことばかり考え、すべての責任を転嫁するような人に、リーダーの資格はない。

野党から指摘を受けるまでは二次補正予算を組むつもりもなく、早々に国会を閉じてしまおうとしていたことがすべてを物語っているのではないのか。

『一定のメド』をめぐって辞任時期が取りざたされているが、一刻も早く辞めるべきだ。国家、国民のために。

鳩山氏が翻意した時に確認した文書。これもあまりの内容の酷さに目を疑った。

この人たちには被災地のことなど所詮は他人事であり、自分たちが権力を持ち続けさえすれば日本国や国民はどうなってもいいのだ、ということがよくわかる。

一、民主党を壊さないこと

二、自民党政権に戻さないこと

 

これがこの政権、民主党の全てなのだ。

『国民の生活が第一?』そんな言葉は全然入っていなかった。

 

でも、こういう政権を作ったのもマスコミであり、日本国民であることも事実。

自民党も大いに反省し、出直さなければなければならない。

もろいの主張 書評/映画評

映画『名もなく貧しく美しく』を観た

昭和の大女優、高峰秀子さんは昨年末に亡くなった。

その美しさは勿論なのだが、何か陰のある、不幸を背負ったような役柄、演技に惹かれていた。

最初に彼女の映画を見たのは大学生だったのだが、あまりよく理解はできなかった。しかし40代になって、人生の半ばを迎え、若いときに感じることができなかったことが徐々に理解できるようになって来たような気がする。

今では彼女の人生そのものが昭和であり、彼女の涙は昭和の日本女性の涙なのだ、と思う。

今作品は観たことがなかったのだが、たまたまNHK-BSでやっていたので観ることができた。

 

時は終戦前の空襲で始まり、戦後を迎える。高峰秀子演ずるろうの秋子が、同じろうの片山道夫(小林佳樹)と結婚し、日々の生活を過ごすために働くこと、また、生まれた子どもを育てることに苦難の連続を味わわせられながら、戦後の日本を生きてゆくストーリーである。日本でろう者を正面から取り上げた初めての映画であるようだ。

まず今、我々がこの映画を観て思うのは、戦後の日本(東京)の生活ぶりが分かるということ。当時有楽町のガード付近には靴磨きがズラリと並び、その多くはろう者であったそうだ。松山善三監督は映画化にあたり、50人ものろう者に手紙を出し、その返事から苦悩を読み取りシナリオに取り入れている。

※1961年東宝作品

2人がろう学校の同窓会で出会い、交際を経て結婚に至るとき、そして、内職用のミシンを弟に奪われて絶望し、弟ともども一緒に死のうと思いつめた秋子を追ったときの二度、秋子に向けて道夫が強く説く──「僕たちは特別なのだから、2人で助け合って、普通の人に負けないようにがんばらないといけません」。この、「普通の人に負けないように」というセリフ、この映画のポイントであり、当時のろう者もきっと強く共感し、大いに励まされたことだろう。そして電車の窓越しの手話での会話シーンは日本映画史上に残る名シーンだと思う。『私たちはお互いが助け合って生きていこう、と約束したことを忘れたのですか?』と問いかける場面では涙が…

1人目の子どもは耳が聞こえない故に異変に気づかず亡くしてしまう。2人に生まれた子どもの一郎が成長してゆく後半から、俄然と面白くなる。 ろうの両親を最初は疎ましく思い、避け、拒絶さえしていた一郎が、やがて、変わってゆく。(ろうの両親を持つゆえ)これまでは友達とけんかばかりしていた、「たまには友達を連れて来なさい」と言っても決してそうしなかった一郎が、あるとき友達を家に連れて来ている。初めてのことに、秋子は家に帰って一郎の友達の姿を見るや、即座に逃げ出してしまう。「私なんかがいたら恥ずかしいでしょう」。一郎を気遣ったつもりの秋子に、「紹介しようと思って連れて来たんだ」と、親を受け入れ、素直になった一郎の成長を示すシーン。

ろう者を親に持つ家庭で必ずある、よくあることだときく。また、ラストシーンで一郎に語らせる──「以前、僕は、両親がろうあ者なのを恥ずかしく思っていましたが、今ではちっともそう思いません。今はお父さんとお母さんを一番尊敬しています」と。それまでが徹底的に生意気で嫌な、秋子を不憫に思わせる子どもとして設定されていた分、観る者の心をなごませて微笑ましい。

物心ついた一郎が、社会の中でろうの両親の置かれている状況、両親の苦労に気付いてゆく、そのシーンが印象的だった。

洋服の仕立てを内職とする秋子に、「母さんはだまされている。ろうだから利用されているんだ」「母さんが働けば働くほど洋服屋が儲かる。いつも母さんは損ばかりしている」と。そして、「母さんの腕はいいですか?」「母さんがいなくなったら困りますか?」「仕立て代、他ではもっと高いです」と洋服屋にも正面からはむかう。

これは私自身も子どもの頃から(今でも時々)思うことが多い。家族をはじめ周りの人間に対しどうしてもっとうまく、ラクして要領よく生きてゆけないのか、と苛立たしく思えたことも多々あったのだ。

でも、社会はそういうものなのだと今では思う。世の中には世渡りのうまいものとそうでない者とがいて、その差は歴然としている。愚鈍な者はだまされ、要領が悪いようにできている。けれども、それと幸せとはまた別のことなのだということがよくわかる。

秋子の母は、家を出てバーでマダムとして働き、中国人の妾となり「お金が全て」という姉・信子に会ってつぶやく。「世の中は二人でも生きていけない人間と、一人で気ままに生きてる人間がいるんだね」。そしてまた、憤慨する一郎には笑顔で穏やかに諭す──「いいじゃないか。それでも、こうしてご飯が食べられれば」と。道夫もまた別に秋子に言う──「僕たちは十年かかってやっと一人前の夫婦になった」「耳がきこえないから、神様が倖せにしてくれたのかもしれません」。

自分がろうであることに苦しみ、子育てに自信が持てずに苦しみながら生きてゆく秋子が、母と道夫のやさしくあたたかい思いの中でなだめ励まされてゆく。道夫や母のことばには、この世を生きてゆく上での哲学的な箴言が含まれている、と思う。

まさにタイトルどおり、「名もなく貧しく」とも「美しい」生き方であると共感を覚えた。今観ても決して色褪せない、むしろ家族の絆、人間の絆が失われている今、現代を生きる我々が観ることにこそ、大きな価値のある映画であると思う。

それにしても、この時代の日本映画は素晴らしい、と心底思う。

自分の世代も含め若い世代はこんな映画があったこともほとんど知らない。

 

常々思っていることなのだが長い歴史と伝統、文化を誇る国の中で日本ほど『世代の断絶』が起きている国はない。

『今は昔と違う』『価値観が変わった』『今時そんなこと…』年配者からの諫言に対して日本の若者からよく出る言葉だ。そう返されるのがわかっているから今は誰も何も言わない。そうして日本社会は変容してきている。

しかし『日本人としての美徳』や『道徳心』『公共心』などは時代は変われども不変のものなのではないか。

観賞後そんなことを強く感じたのだった。

もろいの主張 書評/映画評

南米一周の旅

NHK-BSで昨年放映した番組の再放送をやっていたので録画して一部視聴した。

5話あって一話1.5時間だから全部で7.5時間もあるので全部見るのはなかなか難しい。

 

エクアドルのキトから陸路でペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル、そしてベネズエラのカラカスで旅を終えるという壮大なもの。

かつて20代の若かりし頃、私も同様の旅をしたので旅先の風景はとても懐かしく、自分の旅を思い出した。

もともとは学生の時チェ・ゲバラの本を読み、南米一周旅行に憧れを抱いていたのだ。

もっともゲバラはバイク二人のりでの南米一周。遥かにハードな旅だったと思う。

 

タンゴ発祥の地”カミニート”(アルゼンチン・ブエノスアイレス)

 

氷河国立公園のペリト・モレノ氷河(アルゼンチン)

ブエノスアイレスではタンゴを見にタンゲリアに行き、ワインを飲んだ。

カミニートからほど近い”La Bombonera”(ボカ・ジュニアーズのスタジアム)も思い出され、懐かしい。

パタゴニアでは氷河トレッキングと南極クルーズが思い出深い。厳しい自然と澄んだ空気に満ちていた。

圧倒的な迫力の氷河を前に、数時間ずっと見とれながらワインを飲んでいた。

 

ブラジルに入って一番懐かしく思い出したのはサルバドールの街。

教会だらけのサルバドールの中でも有名なボンフィン教会

私は何と92.94.95.96.97年とこのサルバドールのカーニバル(カルナヴァル)に参加しており、5回も行っている物好きは日本人では稀であると思っている。

リオももちろん何度も行っていて好きなのだが、サルバドールはもっと素朴で、もっと熱狂して、もっとキケンで…とにかく楽しいのだ。

海岸を埋め尽くす人の波 サルバドール

映画ではWalter Sales監督の『モーターサイクル・ダイアリーズ』がゲバラの旅を描いており、よかった。

南米各国が見せる様々な表情、最初は未熟なゲバラが成長していく過程、人々が抱える貧困問題…

ゲバラ自身が後日語っているようにアマゾンでのハンセン病患者との交流が政治に目覚める大きな要因になったようだ。

夜の河を泳いで渡るシーンには思わず涙が…

 

などと自分の旅がオーバーラップしていろいろなことを考えてしまいました。

 

 

もろいの主張

統一地方選を終えて

県議選から始まった統一地方選も、市議会議員の選挙が終了して終わった。

我が羽生市も14人の市議が決まった。

予想通りの結果であり、当選した方々には祝意を申し上げたい。

 

しかし投票率は過去最低だった。

震災の影響もあってか、全体的に控えめな選挙戦だったことは否定できない。

『こんな時に選挙なんて』との声もあったが『こんな時だからこそ政治が大事、政治を動かすには選挙なのだ』と言い続けてきた私とすると少々残念なことだ。

 

落選した候補者は全て新人でほとんどがよく知らない人なのだが、、、

強いて言わせていただけば、現職を押しのけて当選を狙うには本気度が少々足りなかったように思う。

名前は勿論だが政策や主張、思いがほとんど伝わってこなかった。

選挙期間中、昼間に選挙運動をせず仕事をしていた候補者もいるようで、事実とすれば有権者に対して真摯な態度とはとても思えない。

 

選挙とは蔑まれるものでも侮られるものでもなく、国民の高貴な行為だと考えている。

候補者はその重みを感じて立候補すべきだと思う。